園長だより 令和4年6月号

命の尊厳について!  ~みんなかけがえのない大切な存在~

 湿気の多い毎日ですが、自然の息吹を感じることも多く、人間も含め動物や植物の「命の営み」を感じる季節でもあります。子どもたちの明るく元気な姿を見ていると、この尽きることのないエネルギー(「命の源」)はどこから生まれてくるのだろうと不思議に思うことがあります。子どもたちは、「今という時間」を精一杯生きています。

 「命の尊厳」については、人によって様々な捉え方があると思いますが、以前長崎大学名誉教授「篠原駿一郎」氏の講演の中に、共感するものがありましたのでまとめてみました。かけがえのない「命」、誰とも同じではない「命」、その尊厳を特徴づけるものは何かについて考えてみたいと思います。篠原氏は、次の3つの根拠を提示されました。

1 命の自然性
 命は人間がつくるものであることは間違いないが、人間の力を超えた、つまり人為を 超えたものから与えられたものである。我々は、命を授かったのである。学習指導要領の中に、「人為を超えたものに対する畏敬の念・尊敬の念を持つ」という文言がある。自分の力で生まれてきた訳ではなく、どこか人間を超えたものから頂いたという視点も大切ではないかという意味において、命の自然性は尊厳の根拠になる。

2 命の独自性
 我々一人一人は、独自の存在である。我々は、子どもを授かる時、どんな子が授かるかは予想はできない。遺伝子構造の無限の偶然的な組み合わせによって生まれてくるのである。つまり、親は子どもを選べないし、勿論子どもも親を選ぶことはできない。しかし、だからこそ、子どもは尊いのである。親は子どもを育てなければならないが、子どもは決して親の所有物ではない。一人一人は独自の存在なのであるという意味において、命の独自性も尊厳の根拠になる。

3 命の不完全性
 人間は、自然に生まれ、不完全な存在である。将来遺伝子の選別が行われるという予 測(そんな時代を肯定している訳ではない)もあるが、一人一人は不完全な存在である。誰もがかけがえのない独自の存在であり、お互いにタイプが違う。全てが長所ばかりで一つも欠点のない人は存在しない。様々な才能を持つ人がおり、誰でも欠点を持っているからこそ、それをお互いが補い合い、その中で連帯感が生まれるのである。だからこそ、他者の手助けを必要とする人の存在を社会の負担と見るべきではないということは当然のことである。社会全体が穏やかな寛容の社会として成熟していく必要がある。故に、命の不完全性も尊厳の大きな根拠になるのである。

 私は、ハッとすると同時に深い感銘を受けたのを覚えています。残念ながら、日本も世界も現在の状況に目を向けると、その寛容さが失われつつあるような気がしてなりません。今を懸命に生きている子どもたちと接しながら、子育てや教育の原点に「命の尊厳」という視点があれば、もっと豊かな保育・教育が実現するのではないかと考えています。当たり前のことですが、一人一人は「みんなかけがえのない大切な存在」であることを再認識したいと思います。

園 長  中 村 洋 志