園長だより 令和4年3月号

こころのぜいたくを楽しむ ~子どもたちの感性を育むことの重要性~

 日ごとに暖かさが増し、ずいぶん春めいてきたような気がします。あっという間に3月を迎えましたが、この時期は、子どもたちは確実に成長しているという実感と、子どもたちの成長にどれだけ貢献できたのだろうかという思いが交錯する時期でもあります。この3月で転園するお子さんもいますが、職員一同、出会ったお子さん全員が次のステップで大きく羽ばたいてほしいと願っています。

 以前読んだ、映画評論家故淀川長治氏のエッセイに感動したしたことがあります。「バスの中で、三歳の子が母に言った。『ね、あっちのおうちも、こっちのおうちも大きいねェ、ボクんとこ、どうして小さいの。』すると、若い母が言った。『あんな大きなおうちだったら、ママが坊やにお話しても聞こえないでしょう。広すぎて。』すると、坊やが言った。『ホントだね。』私はこの話に感動した。」という文章です。さらに、同じエッセイの中で、「これもバスの中だ。雪が降った日だった。『お母ちゃん、ここにも雪が来ているよ。』すると、母親が言った。『ほんとね。坊やのおうちのベランダにも来ていたでしょう。』若い母親が、坊やに雪が来ているのではなく、雪は降っているのですよと、テイセイしなかったその母親を、私は美しいと思う。感動した。感動は、感動する気さえあれば町じゅうに発見できるのだ。そして、それらを発見するたびに、世の中が明るく楽しくなる。」という文章も紹介されていました。私は、何と豊かな会話だろうと感心しました。「こころのぜいたくを楽しむ」という言葉がぴったりだと感じたのです。

 私も、もう30年近くも前、北薩の小さな学校で似たような経験をしたことがあります。若い先生の授業(一年生の国語)でした。黒板に「わたしは、セミがとりたい。」と書いた子がいました。先生は、「セミ『が』ではなく、セミ『を』でしょう。」と繰り返し指導するのですが、その子はどうしても譲りません。どうしてもセミを捕りたいその子にとっては、「が」という強意の助詞でなければならなかったのです。最後までその子を説得することはできませんでした。研究授業ということで、汗をかきながら一生懸命に授業を続けたその若い先生に、「今日はとてもいい授業を見せてもらいました。」とお礼を伝えたことを今でも鮮明に覚えています。印象に残る爽やかな授業でした。その後どんな授業が展開されたか分かりませんが、きっと、子どもの心情に配慮しながら丁寧に教えたのではないかと想像しています。

 ややもすると、大人の論理だけで考えてしまい、子どもたちの「心の声」に気付けないことがあります。時には、立ち止まって、ゆっくりと子どもたちの「心の声」に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。私たちにもそれぞれ幼い頃があり、「様々な不思議」に驚いたり、大人から見ればガラクタにしか見えない「宝物」を大切に保管したりした経験があるのではないでしょうか。子どもたちに豊かな感性を育むことは、一朝一夕にはできませんが、ひょっとしたら、普段の生活の中にその機会はいくらでもあるのかもしれません。この一年間の子どもたちとの出会いに感謝するとともに、すべてのお子さんのさらなる成長に期待したいと思います。

園 長  中 村 洋 志